指導するということ1

ある程度のレベルになると誰でも、指導する立場になる。
だが、私たちは、この指導のしかたを知らなすぎるのではないだろうか。
大半が、立場にたより「上位下達」して指導したと思っている。
そして、言うことを聞かない連中がいたら、それは迫力が無いためと思い、怒りによって言うことを聞かせる手段を用いる。
こうなると、育てるはずが、むしろ本人を傷つけ、トラウマを背負わせてしまうという最悪のケースになる。
明らかに間違いだ。
私たちは、それを受けた経験がある。
私は、この頃やっとこのトラウマから解放されつつあるが、その上司を責める気にはならない。
自分の子供を育てるとき同じミスをしたことがある。
だが、私はこの頃、ようやく最適な指導方法を見つけた。

それは、既に一つの人格を持つ一人の人間として認め、今後必ず抱えると予想されるリスクを、指導によって回避させる、という強い意思と、育てようという強い意思を持つことから始めるというものだ。

これは、容易ではない。
思い込みや単なる勘違いだって中にはある。

では、どうしたらよいのか、それを教えてあげよう。

でも、予めここで言っておきたい。

私は、まだ、これをしっかり身につけていない。