優しさの種になりそう

なことを見つけようとしている。
ところが、相手を諭す言葉をさがすことが先に頭を占め、ディベートして勝つパターン探しをしはじめた。
優しさの種は、競うところにはないと、何度も反芻していたはずだったが。
かと言って、全て許すところには種は絶対にない。
自分を反対側から視てみることで、優しさの種は見つかるかも知れないとふと思った。
やって見ようか。
私は癇癪持ちだ。なぜなのかというと、意外に自尊心が強いから、だろう。
私が、変わった人間だから、変わった人間であることに気がつかれなかったり、ただの良い人と思われたり、普通の人と思われたり、その他大勢の一人だったり、いることだけは気づかれたり、まして、いることすら気づかれなかったりしたら、無性に腹が立つ性格なのだ。
これは、私だけはないのではないのではないか。